「レビ人の祭司たちが立ち上がって民を祝福した。彼らの声は聞き届けられ、彼らの祈りは、主の聖なる御住まいである天に届いた。」 歴代誌 第二 30章27節

ヒゼキヤ王の改革によって、レビ人を初めとして民はみんなきよめられていくことを求めて、そして主を礼拝しようと行動をします。
指導者である王が、悔い改めて主の前にきよくあろうと求めるならば、民もまた王に従うのです。
とても良い行動が重なっています。

30章の後半は、いよいよ主の例祭を行い、主に向かって礼拝をささげていくことが記されています。
ここに私は、主からの慰めと励ましを受け取ることができます。
「彼らの声は聞き届けられ」とあります。
なんという幸せでしょう。喜びでしょう。
これまで散々に主に背き、きよさとは真逆の生活をしてきた民だったのです。
しかし、主はどこまでも恵み深く、あわれみ深い方なのです。
彼らの、そして私たちの主に向かって上げられた声は、主に聞き届けられるのです。
見捨てられることなく、無視されて、主が耳を塞いでしまわれることもないのだと、ここから分かります。

私の声は主に聞き届けられ、私の祈りは天におられる主に届くのです。
それは実に、豊かな恵で答えていただけるということです。

シャローム