「そばに立っていた人たちの何人かがこれを聞いて言った。「ほら、エリヤを呼んでいる。」」 マルコの福音書 15章35節
エリヤを呼んでいると言ったのは、前の節でイエス様がこのように叫んだからです。
「エロイ、エロイ、レマ、サバクタニ。」訳すと「わが神、わが神、どうしてわたしをお見捨てになったのですか」
十字架での死を目前にした時、イエス様は人が神様に見捨てられてしまって死に、そして滅んでいくことの本当の恐ろしさ苦しさを味わったからです。
人となってくださったイエス様は、私たちが知らずにいる神に見捨てられてしまった時の恐ろしさ、惨めさ、痛みを、この時、私の代わりに受け取ってくださったのです。
そして、父に叫ばずにはいられなかったのです。
もちろん、イエス様は滅びません。
しかし、私の身代わりをしてくださる時、その痛みも含めてすべてを味わい尽くしてくださったのです。
ところが十字架のそばに立ち、イエス様が殺されていくのを目撃している人々には、イエス様のこの痛み苦しみが他人事なのです。
本当は自分の痛み苦しみ悲しみの極致なのに、知らないのです。
知ろうとしない愚かさが見えます。
エリヤを呼んでいるのではありません。あなたの、私の痛みを代わりに叫んでいてくださるのです。
父に叫ばずにはいられないほどの苦しみが、罪の報酬として、かつての私たちにはあります。しかし、今はイエス様を信じたので、永遠のいのちの約束があります。
主イエスに感謝して叫ぼう。
シャローム
