「するとすぐに、鶏がもう一度鳴いた。ペテロは、「鶏が二度鳴く前に、あなたは三度わたしを知らないと言います」と、イエスが自分に話されたことを思い出した。そして彼は泣き崩れた。」 マルコの福音書 14章72節

ほんの少し前、31節でペテロは、他の弟子たちが裏切っても私だけはイエス様を裏切りません。
死ぬことになってもついて行きますと、威勢の良いことを語りました。
時間にして何時間ほど前のことでしょう。
でも、ペテロは本気なのです。そのように自分はできると思っていたのです。

それがどうでしょう。屈強な兵士に詰め寄られたわけでもなく、ごく普通の女性にイエス仲間だと指摘されただけで、三度も否定したのです。
それも自分が嘘をついているのならば、呪われてもかまわないと、念を押したのです。
ペテロが愚かなわけではありません。ここに私たちの弱さと罪深い心があるのです。

しかし、ペテロは幸いです。
ペテロはイエス様にこれまで愛されてきたことを知っています。
ですから、ペテロは自分のおこなった行為を恥じ、罪を意識して泣き崩れたのです。

泣けたことは幸いでした。
崩れたことで、ペテロはこの後、もう一度立ち上がることができるのです。
イエス様の見捨てない愛によって、手を取られて立ち上がらせていただけるのです。
自分の罪深さに泣き崩れることができる心は幸いなのです。
そこにイエス様は手を伸ばしてくださるから。

シャローム