「さあ主に向かって喜び歌おう。私たちの救いの岩に向かって喜び叫ぼう。」 詩篇 95篇1節
「喜び」「喜ぶ」とは、いったいなんでしょう?どのようなことをいうのでしょうか?
私にとって何か良いことを経験したので喜んだ。
ある経験が、私の心を喜ばせた。
喜び、喜ぶとは、悲しみや苦しみとは、反対の心の動き。
何かの経験が、喜ぶという心を生み出したり、心を動かす。
このようなことだろうかと思いました。
私自身が、喜んだという時のことを思い返せば、そんな感じでしょう。
それは私の心の中のこと。
家族や他の人と共有する、共有できる喜びもあると思います。
ここ1節では、明確にそして強調するのは、主に向かって喜ぶということです。
喜ぶという心と、喜ぶ行動が、主に向かっているのです。
続く表現では主のことを「救いの岩」と言い換えています。
私の罪を赦し、私を死の鎖から解放し、平安と永遠のいのちを与えてくださる「救いの岩」に向かって、喜び叫ぶのです。
喜びは、私の中だけで終わるものではなく、本当は、主に向かって行く心にあります。
主から与えられ、私の中から外へ、主へと向かう喜びが真の喜びであり、失われない喜びとなって行くのです。
私の喜びとは、主とともにあるものです。
そして、喜びは、主を賛美する心と、主に感謝する心と一つになっていくのです。
シャローム
