「第三の御使いが鉢の中身を川と水の源に注いだ。すると、それらは血になった。」 ヨハネの黙示録 16章4節

出エジプト記の10の災害、さばきの最初、ナイル川の水が血に変わったことを思い起こさせます。
主のさばきは現実に起きるのです。

6節には「それがふさわしいからです」と言うことばがあります。
主のさばきがもたらされるのは、その人たちが神に反逆し、神を信じる人たちを苦しめたからである。
その結果のさばきなので、ふさわしく受け取るのだと、示すわけです。
そしてここでおこなわれるさばきは、2,3,4節と次々と簡潔に記されています。
余分なことは記さないで、次々と書かれているのには意味があります。

それは時が満ちて、主のさばきが行なわれる時は、逃れることはできないと言うこと。
そして速やかに、素早くおこなわれるということです。

主は怒ることはないと、思い違いをしたり。
主はさばきをすることができないと、思い上がったり。
主の臨在を、自分の間近に覚えることができない、主の反逆する人たちは、このように素早く、次々とさばかれていくのです。

そしてその時、終末の日は近いのです。
終末の日には、私たちには、想像もできないことが起きるのだということと、素早く、現実にさばきがおこなわれると言うことを、はっきりと覚えて一日を過ごしたいのです。
シャローム