「ユダの人々は一万人を生け捕りにして、崖の上に連れて行き、その崖の上から彼らを投げ落とした。彼らは一人残らず砕かれてしまった。」 歴代誌 第二 25章12節

主のことばに従って雄々しく戦うならば勝利すると、主が主から遣わされた神の人のことばの通りに、ユダの人々と王は勝利しました。
この時、捕らえた敵の兵士、一万人をユダは処刑します。
現代の常識で測るならば、残虐だと感じる部分もありますが、そうではありません。

次の節を読むと「打ち殺し、多くの物を略奪した」と、ユダの人たちとは一緒に戦わなかったイスラエルの人たちの行為が記されています。
これこそ残虐な行為、感情のままに行った行為です。

12節の行為はそれとは違います。
主に逆らい、罪を重ねた人たちが、この戦いによってさばかれたのです。
罪がさばかれていったことを示しているにが「一人残らず砕かれてしまった」とのことばです。
打ち殺したのとは違うのです、
砕かれることで、この人たちの罪が表へとあらわになり、滅ぼされたのです。
それも、一人残らず、一つの罪も残さないでさばかれ、打たれていったことを示すのです。
この戦いは、主がさばきを行う戦いだったのです。
王とユダの人々は、主の剣となって、さばきを実践したのです。

覚えたいのは「打ち砕かれた」ということ。
打ち殺したのとは、まったく違う意味がここにあります。
私たち、自分の内側が主によってあらわにされても、恥じることがないように歩みたい。
打ち砕かれるのではなく、主の家に安らぐ者として打ち立てられたい。

シャローム