「すると天から声がした。「あなたはわたしの愛する子。わたしはあなたを喜ぶ。」」 マルコの福音書 1章11節

引き続き1章からです。
ヨハネからバプテスマを受けられたイエス様に、天から声がしたのです。
神である方が、人となって地上に生まれてくださいました。
公の場でイエス様のことが明らかにされるのは、これが初めてです。
それも父ヨセフ、母マリアからではなく、天の父である神さまからの証言です。
「わたしの愛する子」とは、イエスが父なる神さまと同格の神であることを証言することばです。
多神教、汎神教の考えを信じていないユダヤにおいては、これは特別な上にも特別な証言です。
少し前のか所7節で「私よりも力ある方が来られる」と、証ししているヨハネにとっては確信を与えてくれる天からのことばです。
どうじにそれは、神から与えられた使命を果たしていたヨハネにとっては、自分のおこなってきた働きが正しかったことを認めていただいたことばにも聞こえたことでしょう。

そしてもうひとつの証言である「わたしはあなたを喜ぶ」も大切なことばです。
神である御子イエスが、地上に人となって生まれていることを父は喜んでいると明かされたのです。
そして今、イエスさまが、公に働きを始められたことを、天の父は喜んでおられるのです。

父なる神さまと御子イエス様の大きな愛がここに示されています。
イエスさまの働きとは、罪人を救うことであり、それは神ご自身が自ら犠牲となって死ぬことです。
神に背き、神を知らないと放縦な生き方をして、滅びに向っている罪人を救うための神ご自身の犠牲。
それを父なる神は喜んでおられて、天から見守っておられるのです。

罪人の私がイエス様の犠牲で救っていただく価値があるのでしょうか。
価値なき者を価値ある者として救ってくださるのが神さまの愛です。
価値なきはずの私は、神に愛されている者なのだと教えられる11節です。

それならば、神に愛されている者としての歩み方をしたいと思うのです。
シャローム