「エレミヤは、エルサレムが攻め取られる日まで、監視の庭にとどまっていた。 エルサレムが攻め取られた次第は次のとおりである。」エレミヤ書 38章28節
エレミヤは再度機会を得て、王にバビロンに降伏をするよ言うに語ります。
王は、バビロンだけではなく、先にバビロンに投降したユダヤ人にも憎まれると恐れます。
王の決断や様々な状況が進まない中で、エレミヤは監視付きの庭にとどまっています。
それはエルサレムの崩壊の日、エルサレムが攻め取られる日まで続きます。
預言者としてのエレミヤは、自分が主から託宣されて語ったことばが、そのとおりに実現をしていくのを目撃をするのです。
それが都の陥落、国の崩壊という恐ろしく悲しい出来事であったとしても、見届けるのです。
それは主のことばはいつも真実であり、必ず実現することを身をもって経験するためです。
エレミヤのその経験は、信仰者の証しであり、後の時代の信仰者には見習うべき信仰の歩となるのです。
語り、目撃し、そこにとどまる。
それは主にしっかりと信頼して揺るがない信仰がなければできないことです。
私たちは今、主のことばにのみ信頼して、とどまっているでしょうか。
シャローム