「少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教えた。」使徒の働き 28章31節

1つ前の30節には、パウロは、自費で借りた家に住んで、訪ねて来る人をみんな迎えたとあります。
囚人として扱われる中でも、ある程度の自由が与えられていたようです。
人に会うことができたパウロはユダヤ人に福音を語り、彼らが信じようとしないので、異邦人へ福音を語るようになっていきます。

囚人の立場は変わらないのです。
牢に入れられていたわけではないのですが、それでも制限はあり、完全に自由ではないのです。
それでもパウロのローマでの生活は「少しもはばかることなく、また妨げられることもなく」でした。
それは自由に市場に買い物に行くとか、遊びに出かけられるということではない。
自由に「神の国を宣べ伝え、主イエス・キリストのことを教え」ることのできた生活です。
主が約束してくださったローマでの働き、使命を果たすことができる日々です。

ローマ帝国や他の何者かが、パウロを囚人として縛りつけても、パウロは主に在って一番大切なことを自由に思い通りにすることができているのです。
パウロのローマでの2年間は、自由で意味のある生活だったはずです。

私たちの日々はどうでしょうか。
何かに縛りつけられているでしょうか。
少しもはばかることなく、また妨げられることもなく、イエスさまの前に生きている毎日でしょうか。
何を大切にして歩んでいる毎日でしょうか。

使徒の働きはこれで終わります。使徒ペテロ、使徒パウロの働きを記していますが、いつもそこには聖霊なる神さまの働きがあり、支えと導きがありました。
今、聖霊さまは、同じように私たちともともに生きて助け導いてくださいます。

シャローム