「私が自分でしたくないことをしているなら、それを行っているのは、もはや私ではなく、私のうちに住んでいる罪です。」 ローマ人への手紙 7章20節
自分がしたくないと思っていることを行い、反対にしたいと願う善を行なっていないのには、原因があるのだと、パウロは言います。
それは私のうちに住んでいる罪なのだと主張するのです。
もちろんそれは、罪に責任があって、自分には責任がないと弁明したいのではありません。
逆らうことのできない罪の大きな力が自分のうちにあるのだと、認めているのです。
その罪を、罪から発する力を、自分では完全に解決をすることはできないのです。
パウロは、それを知っているのです。
ですから私のうちに住んでいる罪を解決しない限り、私たちは、罪に縛られている奴隷のままなのです。
そのままでは、願っても望んでも、真に善を行って生きることはできません。
律法を守って、罪を解決をしようと努力しても、それは不可能でした。
ですから、私には救い主が必要なのです。
救い主を信じて、罪が赦されていく道が必要だったのです。
律法と信仰を対比させて、私に必要なものを教えてくれる箇所です。
したくないことを行ってしむような生き方から、完全に離れて、神に喜ばれる生き方へと移っていきましょう。
シャローム