「おまえたちは自分の先祖の罪の升を満たすがよい。」 マタイの福音書 23章32節
律法学者とパリサイ人への厳しいことばが続きます。
イエス様は彼らのことを「偽善の」と呼びます。
主への熱心な信仰があるように見せかけている「形ばかりの信仰」の人たちであり、人々を導こうとする人たちへの厳しいことばです。
ここでは13節から繰り返し「わざわいだ」と、言われます。
イエス様は以前、5章では「幸いです」と、繰り返して教えてくださいました。ここではそれとはまったく逆のかたちを取って教えます。
彼らは、自分たちが信仰深く見せるのに力を注ぎます。
しかし、その心はまったく神様に向いていません。
また、神様のことも隣人のことも愛していません。
愛さないので、犠牲を払うこともしないのです。
それなのに、自分たちには大きな祝福が与えられると誤解しています。
その罪は、今、始まったことではありませんでした。
はるか旧約聖書の時代から、神様のことばを聞かないで、預言者のことばを無視して、預言者を迫害してきたのです。
そういう偽善者の、信仰の子孫が、この時代の「偽善の律法学者とパリサイ人」なのです。
しかし今、イエス様のことばを聞いて悔い改めないのならば、彼らのさばきの時は迫っています。
もう既に満ちているのです。
升を満たすが良いと、イエス様は言われましたが、既に彼らの升は罪で満ちているのです。
彼らが気がつかないだけなのです。
神様は忍耐と寛容をもって罪人が悔い改めるのを待っていてくださいます。
しかし、罪の升が満ちてしまって、今にも溢れそうなのは、罪人と呼ばれていた取税人や遊女ではなく、自分を義人で信仰者だと自負する偽善者であり、形ばかり信仰者の、律法学者やパリサイ人なのです。
私たちは、形ではなく、心を神様に向けて、神様のことばを聞く者となっていきましょう。
罪を悔い改めて、自分の升を空っぽにして、イエス様の愛で満たしていただきましょう。
それがわざわいと呼ばれる人から幸いであると呼ばれる人へと変わる大事な点です。
シャローム
