「私のたましいよ黙ってただ神を待ち望め。私の望みは神から来るからだ。」 詩篇 62篇5節
1節には「私のたましいは黙ってただ神を待ち望む。私の救いは神から来る。」とありました。
ほとんど同じ表現が1節と5節に繰り返されるのです。
5節の方が「待ち望め」「神から来る」と、表現が断定的で確信を深めています。
祈りつつ、神からの助けが来ることを確信している様子を、繰り返すことで、さらに強めていることが分かります。
そして、神からの助けは、単なる援助ではなく「望み」そのものなのです。
ここで一番のポイントは「たましいよ黙ってただ神を待ち望め」と、告白し、自分自身を鼓舞していることです。
黙ってというのは、祈る必要もないということではありません。
神様を信じて、祈ったならば、それ以上は、何も余計な口を開かず、言い訳や敵を批判したりすることなく、神様に委ねて静かに待つということです」。
キリスト者が、主に祈り求めることは当然のことであり、日々、祈るべきです。いえ、祈りたいものです。
しかし、言葉数を多く祈ることや、繰り返して叫ぶことが、神様に祈る最善の姿ではないのです。
神様を信じて、黙って待つことができるのも信仰のあるべき姿です。
時には、黙ってみよう。
シャローム
