「人々はこれを聞いて沈黙した。そして「それでは神は、いのちに至る悔い改めを異邦人にもお与えになったのだ」と言って、神をほめたたえた。」 使徒の働き 11章18節

「悔い改め」とは「後悔」とは違って、自分の罪を認めて、神様の前に生きるべき道を方向転換するまでを言います。
罪の中に生きてきた私たちは、神様に背を向けて生きてきたのです。知らなかったとしてもそうなのです。
しかし、悔い改めた人は、神様の方を向き、いつも神様の前を歩むのです。
すべてを神様に見られており、導かれ、守られていると安心して歩むのです。

そしてここに大切なことばがあります。
「お与えになった」
悔い改めは、私の努力や、性質、経験だけで、それができるものではありません。
神様が、私を愛し、私に悔い改める心を与えてくださるのです。
私は、導かれて、それを受け取ることができた幸いな一人なのです。
頑なな心にならないで、素直にそれを受け取り、自分の口で悔い改めることができるのは、本当に幸いです。

悔い改めることができた唇は、次に神様をほめたたえるのです。

シャローム