「私たちは、自分たちが見たことや聞いたことを話さないわけにはいきません。」 使徒の働き 4章20節
神に聞き従うことが正しいことなのですと、ペテロとヨハネは19節で答えています。
民の指導者たち、長老たち、律法学者たちの脅しに屈することなく、答えたのです。
日常生活の指導者、神殿の指導者、法律の指導者たちに対して、毅然と答えたのです。
それも正式な場で答えました。
自分たちが経験したことを正しく理解して、神を信じていることを証言したのです。
自分が神さまに愛されて、恵みを受け取っていることを知ったのならば、それを話すのは当然のことであり、そうすべきであることを証言したのです。
当然のこととして、それは癒された人を見ており、それがイエスの名によって行われたことを知っている指導者たちにも、当てはまることだと、指摘することにもなっています。
彼らは、神ではなく人に聞き従っているのです。
神ではなく人を恐れ、人の評価を気にしているのです。
私たちはどうでしょうか。
礼拝に集い、聖書を開いて、今も生きて働いておられる神と出会っているのか、それを話しているのでしょうか。
誰の前でも、どのような時でも話して証言しているのかと思い返しています。
この時、ペテロたちと一緒に立っていた癒された人の顔はどんなだったでしょう?
指導者を恐れていたのか、喜びに満ちていたのか、感謝があふれ出ていたのか。
きっと立っているだけで、その表情は昨日までのこの人とは別人のようであったのでしょう。
だから指導者たちもペテロたちを脅す以外には何もできなかったのです。
イエスさまから私に届いた恵みを、まずはしっかりと受け取る朝としたい。
そこから救い主イエスさまの証言者としての話すべき言葉が出てくるのですから。
私が、聖書を開いて見たことや聞いたことは、同じ恵みを私は、私の七日間の生活の中で経験しています。
イエスさまの恵みを味わい今日を始めましょう。
シャローム