「この青年はイエスに言った。「私はそれらすべてを守ってきました。何がまだ欠けているのでしょうか。」」 マタイの福音書 19章20節
永遠のいのちを得るために、どんな良いことをすれば良いのでしょうかと、イエス様に問いかけた青年でした。
しかし、戒めを守るように教えられたこの青年は、自分の正しさを誇りました。
永遠のいのちを得る確信がなく、それを得たかったはずですが、自分の正しを誇ってしまうのです。
青年は戒めを守ったと誇りました、
そして、何がまだ欠けているのでしょうかと、問い直しました。
尋ねているようですが、自分を誇っているのです。
その心が間違っていたのです。
神様が命じた戒めを、欠けのある私たちがすべて守ることはできないのだと、謙遜になるのです。
まだまだ、欠けがあります。けれども、永遠のいのちを与えていただけるのでしょうかと、
足りない自分、欠けのある自分を認めるのです。
その時、神様がその足りないところを満たしてくださるのです。
そして、永遠のいのちは、自分の手で、自分の力で手に入れるものではなく、主のあわれみと恵みによって与えられるものなのです。
神様の前に欠けがあるということは、その欠けを神様に満たしていただけるということです。
自分では埋めることができない、満たすことができないことを知る人は、幸いなのです。
神様を求めて、神様に委ねることができるからです。
シャローム
