「主とその御力を尋ね求めよ。絶えず御顔を慕い求めよ。」 歴代誌 第一 16章11節

一つ前の10節にも「慕い求める」ということばがあります。
全能の主の力を求めて頼りとし、主の御名をほめたたえます。
私たちは、主を信じて歩みます。
悲しみや困難を覚える時には、助けや慰めを主に祈り求めます。
それは正しい姿です。
他の何かに頼ることなく、私の生活の全てを主に助けを求めます。
自分の力だけで解決を図るのでもなく、主に助け求めます。

しかし、助けを求めたり、頼るというだけではないのです。
私たちは、主を絶えず主を慕い求めるのです。
それは親しく主と交わることを示します。

苦しい時の神頼みが、間違っているのではありません。
しかし、主なる神様は、私たちを助ける「力」というものではありません。
私たちと人格の交流を持ってくださる方、いえ、私たちの持つ、性質や人格は、元々神に似せて神が私に与えてくださったものです。
ですから私たちは主と本来ならば深い交流が持てるのです。
私の持つ罪の性質がそれを阻害しますけれど、主は求めてくださっています。

ですから私たちは、主に助けを求めるだけではなく、主を慕い求めるのです。
絶えず慕い求めるのです。
良い時も悪い時も、いつも耐えることなく慕い求め続けるのです。
そうできることも幸いなのです。

シャローム