「そして、見よ、天から声があり、こう告げた。「これはわたしの愛する子。わたしはこれを喜ぶ。」」 マタイの福音書 3章17節
天からの声は、天におられる父なる神様の声です。
この時は、イエス様が30歳と言われる時、いよいよ公に姿を現して、神の国と神様の愛を伝える働きを始める最初の時です。
いわゆる公生涯のスタートです。
その始まりは、救い主の前を進み、道を整える使命を受けていたバプテスマのヨハネを、イエス様の方から訪ねて、彼からバプテスマを受けたときのことです。
私たちの罪を赦すための最初のイエス様の働きは、私たちの手本ともなる良いこととして、バプテスマを受けることでした。
イエス様が水から上がった時に、父が語りかけ、宣言して、祝福したのです。
イエス様は、私たちと同じ人となって生まれてくださいました。
しかし、同時に父なる神と完全に同一な神であり、父が愛する子でもあることを、このことばは宣言しています。
さらに「これを喜ぶ」とは、父なる神様が、子なる神様であるイエス様が、人となって、私たちの間に住むこと。
そして、私たちの罪を赦すために、これから十字架の死に向かって、いよいよ歩き出されることを、父は喜んで見ておられるということです。
これから私のために、十字架の死という犠牲を払われるイエス様。
その犠牲の死を見守り、救うのではなく、見捨てるが如く見続けることを、表されている父の愛がここにはあります。
喜ぶと言い切られるのです。
忍耐の愛がここにあります。
私たちは、神に愛されているのです。
神が、人のために犠牲を払うという究極の愛が、ここで宣言されました。
シャローム
