「しかし、このわたしは真理を話しているので、あなたがたはわたしを信じません。」 ヨハネの福音書 8章45節
24節、28節と、イエス様はご自分が御子であることを「わたしはある」と、示されました。
しかし、アブラハムの子であるはずのユダヤ人たちは、イエス様のこのことばの死にを知ろうともしないし、イエス様のことを信じることもしません。
知ろうとしないのではなく、知りたくないというのが、彼らの本心でしょう。
イエス様の語る真理を信じて、そのことばに自分自身を照らすならば、自分が罪人であることを認めなければなりません。
しかし、取税人などを罪人と責めると同時に自分たちは正しい者だと自負する彼らは、自分こそが神の前に罪人だと認めることができません。
ですから彼らは、イエス様が語る真理を知ることができません。
知りたいと願わないので、信じることもできないのです。
私たちが、神様の真理に少しであっても確かに触れる時、私たちは自分が罪の中を歩んでいることを知るでしょう。
神の真理を知るのは、私たちには苦しいものでもあるのです。
しかしイエス様を信じることができるならば、その苦しみ涙を通って、神とともに生きる喜びを知ることができます。
本当に価値のある喜びを自分の喜びとできます。
イエス様が、私たちに話してくださっている真理を素直に受け止めていきたい。
そして主イエスを、私の救い主と信じて、イエス様に最後まで付いて行く私になります。
シャローム