「それゆえ、見よ、わたしはあなたを先祖たちのもとに集める。あなたは平安のうちに自分の墓に集められる。あなたは自分の目で、わたしがこの場所にもたらす、すべてのわざわいを見ることはない。』」彼らはそれを王に報告した。」 列王記 第二 22章20節
次に8歳という幼い年齢で王となったのはヨシヤです。
彼は、主の目にかなうことをして、右にも左にもそれなかったと評価されます。
そして、心を砕いて神殿の工事に取りかかった時に、発見された律法の書(これは隠されていた書なのです)を、読んだ時に、自分たちがこれまで主のことばに聞き従って来なかったことを知ります。
ヨシヤは、激しい悲しみと苦悩を主の前に表して、悔い改めるのです。
主は、そんなヨシヤをあわれみ慈しんでくださり、恵みの約束をくださるのです。
それは大きく2つ。
民は主のさばきを受けます。
しかし、主の前に直ちに真摯な悔い改めをしたヨシヤ王は、その存命、在位の間に民がさばかれる様子を見ないようにしてくださる。
さばきが、執行猶予となって、ヨシヤ王が死んだ後に起きるのです。
さらなる恵は、ヨシヤは、先祖たち、すなわちアブラハム、ダビデ王と共に、主のみもとで休むことが許されるのです。
このように主の恵は、地上での80年、100歳という期間だけではなく、その先の希望にまでつながっているのです。
死んで終わりではない。その先に希望があり、平安があるのです。
主のことば、律法を知り、罪を悔い改めるのに、遅すぎるということはなく。
主のあわれみと慈しみは、主の前に悔い改める人をどこまでも追いかけて与えられるのです。
シャローム