「全焼のささげ物を、自分勝手な場所で献げないように気をつけなさい。」申命記 12章13節
12節までの箇所で、偶像礼拝の場所をことごとく破壊することと、献げものを携えて行って主を礼拝することが命じられています。
この時代、まだカナンの地が安定していないので、エルサレムで礼拝することが定まっていないのです。
しかし、戦いがあり、偶像の神々を崇める民が住む、カナンの地の反対側では礼拝をしないのです。
偶像礼拝の慣習の影響を受けないためです。
しかし、カンナの地で礼拝すれば、それはどこであっても、どのような形であっても良いという訳ではありません。
「自分勝手」礼拝はだめなのです。
「勝手気ままな」と日本語に翻訳する聖書もあります。
それは主を信じて、主を礼拝するのには、主のことばに従うことが一番大切です。
自分勝手なささげげ物を献げて、気ままな礼拝を献げるならば、それは必ず信仰の乱れを生み、偶像礼拝や周辺の民の異教の習慣を招き入れることになるのが確かなのです。
主のことばを信じて従うとき、私たちは整えられていきます。
主のことばを良く聞いて従うとき、私たちは本当の自由を得ていきます。
自分勝手に献げる礼拝は、自分のためにしている行為であり、主を心から礼拝をしていないのです。
気をつけて、自分勝手な信仰生活にならないようにしたい。
それは結局、私を罪に縛りつけるから。
シャローム