「また、そのみことばを自分たちのうちにとどめてもいません。父が遣わされた者を信じないからです。」 ヨハネの福音書 5章38節
私たちが今、生きているこの時代、この地域には既に主のみことばは語られて、届けられています。
届けられているのは、不特定多数の誰かではなく、貴方に私にです。
貴方一人の耳に届き、心に響き、たましいにまで届けられています。
当時、イエス様の口を通して直接に神様のことばを聞いた人たちの多くは、耳に届いたそのことばを、ただの音のように右から左へと聞き流しました。
聞きたくはない内容だったのです。
自分の罪を指し示され、突き刺され、悔い改めを迫ることばだったからです。
ですから、彼ら祭司や律法学者など、自分で自分を正しい人であると誇る人々は、せっかく神様が御子イエス様を遣わして語ってくださったのに、その大切なみことばを聞き流しました。
自分の中にとどめなかったのです。
そしてイエス様を信じませんでした。
それは神様を信じていると言いながら、神様の声、ことばを聞こうとしていなかったからです。
耳があるならば、神様が、私に何を語ってくださっているのかを聞きたいと切実に求めなければいけないのです。
そうしなければ、罪人である私たちに神様のみことばを聞くことはできません。
受け止めなければ、とどめなければ、そのみことばはただの音、空しい単語になってしまうでしょう。
神様が、自分に語ってくださっているのだと信じて、耳を傾けていきましょう。
そのとき、みことばは私の内にとどまり、初めて神様のことを深く知ることができるでしょう。
シャローム