「すると、彼らは再び大声をあげて、「その人ではなく、バラバを」と言った。バラバは強盗であった。」 ヨハネの福音書 18章40節

夜、園で祈っていたイエス様を、祭司長やパリサイ人から送られてきた人の手によって、イエス様は捕らえられます。
イスカリオテのユダも、裏切って、逮捕に積極的に関わります。
ペテロも、最後にはイエス様を捨てて逃げ出します。

そして不当な裁判が続きます。
しかし、裁判を執り行うピラトは、実はイエス様が無罪であり、ユダヤ人の嫉みから訴えられていることは分かっていました。
それなので、ピラトは最後には、過越しの祭りの日の習わしに従って、イエスを釈放しようと試みます。
しかし、その時、ユダヤ人は大声を張り上げて、イエスではなく、バラバと言う人を釈放するように求めます。

元々、無罪であり、釈放されるべきイエス様の名を誰も上げません。
そして明らかに有罪である強盗のバラバを釈放するように求めたのです。

ユダヤ人の嫉む心、憎しみの心が、大きな罪を犯させたのです。
バラバを選ぶということは、義と愛を捨てて、罪を選ぶ、罪を慕ったと言うことなのです。
誰を釈放することをの望かと、ピラトは明確に問いました。
ユダヤ人は、駄バラバを選びました。
罪を選んで、罪を重ねたのです。

大声を上げ、人と一緒になって罪を犯すようなことがないような生き方を貫きたい。
神と隣人を愛して、罪を捨て去る生き方をしたい。

シャローム