「さあ、今度は 神に嘆願したらどうか。 「われわれをあわれんでください」と。 このことはあなたがたの手によることだ。 神があなたがたのうち、 だれかを受け入れるだろうか。 ー万軍の主は言われるー」マラキ書 1章9節

旧約聖書の最後に収められているマラキ書です。
捕囚後の解放された人びとの間で活動したマラキです。
旧約聖書の最後の預言者です。
マラキ書の特徴は、神と人との対話という形式を取っていることです。

1章のここは、神が何故?と、問いかけている形を取りますが、それは質問をしているのではなく、神が民に対して、自ら考えて悔い改めることを迫ることばです。

自分勝手なささげものをして平気な民たちです。
律法で禁じられている傷ついたいけにえの動物をささげても気にしていません。
それなのに自分たちの生活が困窮していることを嘆きます。
民の上に立つ総督たちでさえ、受け入れない物をささげものに用いながら、神に受け入れてもらおうとする民の間違った心と行動を指摘しています。

言葉だけで嘆願して、恵みを期待しても無駄なのです。
心と行動が一致して、神に嘆願できなければ、神は答えてくださいません。
民の行いと心が、神の答えを決めています。

神に信頼し、神を愛している者は受け入れられているのです。
自らの心と行動を吟味することが神様と祈りそのものになります。

シャローム