「それからエフライムは妻のところに入った。彼女は身ごもって男の子を産んだ。彼はその子をベリアと名づけた。その家がわざわいの渦中にあったからである。」 歴代誌 第一 7章23節

イッサカル族の名前から始まった7章は、戦いに備えた者、勇士という表現が続いています。
多くの部族に多くの子どもたち、勇士が与えられて主の祝福があることを示しています。
そして、エフライムの子の名前が記されると、すぐにその中から、エゼルとエルアデの二人の子の名前が示されて、彼らが殺されたことも記します。
それは現地に住む人の家畜を奪おうとしたからだと、その理由を示します。
この点を細かく記すのです。
聖書が教えるのは、その続きのことばです。

二人に非、罪があったとはいえ、殺されてしまったというわざわいの中にあり、悲しみがあります。
しかし、わざわいと悲しみで終わりません。
エフライムに、新しく男の子が与えられたことを示します。
「ベリア」と、わざわいという意味の名前をエフライムはつけます。
しかし、その男の子はわざわいそのものとは違います。

わざわいの中にあっても、主のあわれみは届き、人は慰めを得るのです。
そのことを忘れないように、聖書は細かくそのことを記して、私たちに教えます。
私たちは、わざわいの渦中にあっても、悲しみに沈んでいても、主の恵みは与えられ、主のあわれみと慰めは尽きることがないのだと、いつも信じて過ごしたい。
そして、主のあわれみをいつも求めて、叫ぶ者でいたい。

礼拝の日です。主の心からの祈り、賛美の声を上げていきましょう。

シャローム