「わたしは、わたしのゆずりの民の残りの者を捨て去り、彼らを敵の手に渡す。彼らはそのすべての敵の餌食となって奪い取られる。」 列王記 第二 21章14節
マナセ王は、あらゆる主の目に悪であることを行いました。
父ヒゼキヤ王が打ち壊した高き所を築き直して、バアルを拝んで、これに仕えるほどでした。
民もまた、王に倣って偶像礼拝を積極的に行い、主のことばに聞き従うことがありませんでした。
マナセ王はますます民を迷わせて、かつてこの地に住んでいた異邦の民が行っていた偶像礼拝よりもさらに悪いことを行わせたのです。
主はついに、民を捨て去り、敵の手にイスラエルの民を渡すと語られました。
これは主からの最終通告であり、厳しいさばきのことばです。
敵の手に渡って餌食となり奪い取られると、そのさばきの結果の恐ろしい状況が示されています。
しかし、私が本当に恐ろしいと感じるのは、主が「わたしゆずりの民」と呼んでくださる民、主の民を捨て去るということです。
主に捨て去られることほど悲しく苦しいことは他にありません。
わたしの民、ゆずりの民とは、主が愛している民、人々であると言うことです。
しかし、主が愛する民を、捨て去る時があるのです。
主に捨て去られるのは、どのようは迫害、危険、障害よりも悲しいことです。
もう、取り返せるものはないのです。
どんな悲しみ、苦しみの中でも、主のあわれみがあれば、私は絶望することはありません。
しかし、主が「わたしは、おまえを捨て去る」と語られたならば、その瞬間に私は絶望します。
主のあわれみを、他の何にもまさって求めたい。
シャローム