「ソロモンが主の宮のために作った二本の柱、一つの「海」、車輪付きの台、これらすべての物の青銅の重さは、量りきれなかった。」 列王記 第二 25章16節
ついに北イスラエルに続いて南ユダも滅びます。
それも徹底的な滅びです。
王は捕らえられ、王の息子たちは目の前で虐殺されます。
王自身は目をつぶされ足かせをはめられて、バビロンの国へ捕囚の身となって連れて行かれます。
足かせは自由を奪います。もはや主を自由に礼拝することもできません。
もちろん、主の前に悪を行い、悔い改めなかった王としては、真の礼拝ができない苦しみを知ることはないのかも知れません。
目もつぶされて、もはや主の恵も何も見ることはできません。
これまで、しっかりと主を見上げ、主の恵を見てこなかった結果が、このさばきなのです。
バビロンは、南ユダを徹底的に破壊し、奪います。
ここ16節に、ソロモン王がこの主の宮を建てた時に、備えた道具、柱が青銅で大切に作られていたことが示されています。
しかもその青銅の重さは量りきれなかったとあります。
それはあまりに青銅が多く使われていて、量ることができないのです。ただ重かったわけではない。
それは主の恵が、人の目には量ることなどできないほど大きく多かったということなのです。
そのような恵みを受け取っていながら、歴代の多くの王たちと民は、主に背き、主の前に悪を行ったのです。
そしてついに、主を信じていないバビロン帝国によって滅ぼされたのです。
主のさばきですが、このさばきの背後には多くの恵みを与えてくださった主の嘆きがあります。
私たちは今、私を愛してくださりたくさんの恵みと祝福を与えてくださっている主を悲しませているようなことはないでしょうか。
主よ。主よ。と言葉ばかり叫ぶのではなく、主の恵を感謝し、主のことばを聞く者となって、この礼拝の日曜日を大切に過ごしたい。
シャローム