「ああ、ディモンの水は血で満ちる。わたしはさらに、ディモンにわざわいをもたらす。モアブの逃れた者、その土地に残った者に、一頭の獅子を。」」 イザヤ書 15章9節
15章は、モアブへの主のさばき、滅びについて記されます。
さばきと滅びの宣告と言えます。
2節では、これまで喜びとともに神々を崇めていた宮に、泣くために上って行くことになることが示されます。
最初から、この宮で礼拝をすることが間違っていました。
唯一の神を礼拝するのではなく、偶像の神々を崇めて、自分たちだけが豊かになろうとして、祈る場所でした。
今、そこに行っても泣き叫ぶしかありません。解決はその宮にはありません。
慰めもないのです。
そして15章の終わりは、主のさばきが徹底的に行われることを記して、15章を閉じます。
逃れた者には、主はあわれみではなく、最後のさばきとして、獅子を送り込みます。
獅子は、いったんは逃れたと思ったモアブの人を滅ぼすのです。
主のさばきからは誰も逃れることはできません。
しかし、主は、南ユダが滅ぼされた時には、敵に苦しめられ、辱められた人たちの中に、やがて回復を受け取ることができる残される人を与えてくださいました。
それはその人たちが、悪しき人たちの中にあっても、主だけを信じて耐え忍んだ人たちだからでした。
最後まで、偶像の神々を頼り、自分たちの力に頼って、主に立ち返り、悔い改めない人たちには、主のあわれみは注がれないのです。
最後の者にまで、主のさばきは届きます。
私たちは、主はあわれみ深い方だと信じています。
ですから主に立ち返ること、悔い改めることを大切な自分の行動としたい。
シャローム
