「私は主を待ち望む。ヤコブの家から御顔を隠しておられる方を。私はこの方に望みを置く。」 イザヤ書 8章17節

アッシリアによってユダ、ヤコブの家が攻められて国が滅んでいくことが主から示されていきます。
主は、そのような状況の中で、主を信じる人々に語りかけます。
敵は、自分たちの力を誇り、自信を持って、戦いの備えをします。
主は、備えてもそれは無駄になることを示します。

しかし、それは無条件にヤコブの家を守ってくださるということではありません。
何故なら、主に愛されているヤコブの家であって、ヤコブの家は主を信じて歩むべきなのです。
ところがヤコブの家は、主の愛を忘れ、主に背いて、罪を重ねてきました。
主が、語りかけても一向に悔い改めなかったのです。
ですから、アッシリアが主に用いられて、ヤコブの家を苦しめるのです。
主のさばきでした。

しかし、そんな中でも主を信じる信仰者は残されています。
信仰者は、心から叫び祈ります。
「私は主を待ち望む」
「私はこの方に望みを置く」
どんなに苦しくても、どれほど敵の力強く、脅威であったとしても。
見るべきは敵の力ではないのです。
敵の姿ではないのです。

主を心から愛して、待ち望むこと。
主だけに救いの望みを置いて、他のものには頼らない心。
心から、繰り返して、力強く、主を待ち望むと祈ること。
これが信仰者に必要なことなのです。

シャローム