「するとアブラハムは言った。『子よ、思い出しなさい。おまえは生きている間、良いものを受け、ラザロは生きている間、悪いものを受けた。しかし今は、彼はここで慰められ、おまえは苦しみもだえている。」 ルカの福音書 16章25節
金持ちとその家の門前にいた苦しく貧しかったラザロの話です。
病があり、食べるものはなく、苦しんでいたラザロを誰も助けなかったのです。
この金持ちも、助けなかった一人です。
この例え話の前には、地上の富、不正の富の用い方に関する話がありました。
金持ちは、お金は有り余るほどありましたが、あわれみの心は持っていませんでした。
地上での生涯、80年なのか、90年か、あるいは40年かも知れません。
私たちには自分の命を伸ばすことはできません。
この時、死んだ後で苦しみを知った時に、慰められているラザロをはるかに遠くに見るだけしかできません。
死後には、私たちはできることは何もなく、何かがそこから変わることもないのです。
その地上での生涯の中で、あわれみを示さなかった者、手を動かして隣人を助けなかった人は、死後の永遠の時間を、今度は苦しむ者となり、あわれみが注がれることもない、永遠の時を過ごすことになるのです。
神を愛することと、隣人を愛することは、もう既に教えられているのです。
終わりのある生涯、地上の生涯であわれみを示さない者は、永遠の時を過ごすことになるときには、主の慰めを得ることはないのです。
私たちは、今、何を見て、あわれみの心を動かして行動しますか。先の時代、死後に来る永遠の時に、何を見て、今、どのように行動しますか。
シャローム