「彼はアハブの家の道に歩み、アハブの家に倣って主の目の前に悪であることを行った。彼自身、アハブ家の婿だったからである。」 列王記 第二 8章27節

ここ8章には、繰り返されて示されることばがあります。
「アハブの家の者がしたように」「アハブの家に倣って」
これです。

主は、王たちの業績などは示しません。
それよりも主のことばを聞いて、主のことばに従ったのかを問われます。
しかし、王たちは悪しき王として知られるアハブの罪から離れることはできませんでした。
何故なのでしょう?
強い欲望があったのでしょうか。
臣下を苦しめたり、嘲ったりしたのでしょうか。
悪い王として有名なアハブ王のことを知っていながら、罪を他人事と甘く考えていたのでしょう。
アハブに倣った方が豊かに生活できたのでしょう。楽だったのです。
ですから、アハブの生き方から離れられなかったのです。

この王たちの最大の罪は、心からの悔い改めをしなかったことです。
悔い改めて、アハブの生き方から離れるべきだったのです。
そして、主のことばを慕い、主に近づこうと求めるべきだったのです。

私たちは今、現代にあっても、変わらない主の目にかなう愛のある正しい生き方を求めたい。

シャローム