「預言者イザヤが主に祈ると、主は、アハズの日時計に落ちた日時計の影を十度後に戻された。」 列王記 第二 20章11節

主は、旧約聖書の時代にイスラエルの民、王の前で幾つかの奇跡を行われました。
モーセの導かれてエジプトを出発した民が、紅海の海を前にした時、後ろに迫るエジプトの軍勢から民は完全に守られて、主が紅海の海の水を二つに割って、その中にできた乾いた道を通って進みました。
海の水を割って退けるのは、海を造られた神にしかできないことです。

そしてここでは王の求めに応じて、主は日時計の影を十度後に戻されました。
それは太陽が戻ったということであり、時間が遡ったということです。
ただ、影が伸び縮みして見えたということではないのです。
時間が巻き戻ったのです。時が逆に流れたのです。

どのような表現をしても、その奇跡の大きさ高さを表しきれません。
聖書もここでは「後に戻された」と、二重の表現を用いて、その奇跡の凄さ、主の業の大きいことを示しています。
それは太陽を造り、時そのものを造られた創造主なる、唯一の神様にしかできないことです。
不可能を可能にする方、不可能ということのない方。
しかも、その業を行われる源は、イスラエルの民、私たち一人に対する愛なのです。
主は、私を愛してくださるので、こんな凄い奇跡さえも時に行ってくださる。

時と場所の制限のある私を、時を超え、場所を越える神様が愛してくださり、今も語りかけてくださっていることを覚えておきたい。
貴方にも、主は日時計を十度の地に戻すほどの業を行ってくださるのです。

シャローム