「彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは彼らに血を飲ませられました。彼らにはそれがふさわしいからです。」」 ヨハネの黙示録 16章6節

さばきの日に「血」が登場します。
預言者とキリスト者を迫害していた者たちが、彼らによって流された血の報いを受け取るのです。
その日までは、血を流し忍耐して信仰の歩みを進めた信仰者が、主によって慰められます。
そして信仰者たちが流してきた血によって、主に敵対する者たちは、その苦しめられてきた血を飲まされてさばきを受け取っていくことになります。

血は、主イエスを信じる人には、十字架の上で流されたイエス・キリストの尊い贖いの血であり、その血によってきよめられていきます。
血によって白くされた衣を着て、きよい者とされます。
地は、信仰者には意味があり、価値のある大切なものとなりますが、敵対する人には、さばきの血となり、苦しみを象徴することになるのです。
隣人の血を流させる者たちは、最後の日には、その血の代価をさばきとして受け取ります。
信仰者が、十字架で流されてイエス様の血を、贖いの代価として信仰によって受け取っていくのとは、全く逆になるのです。

ここ6節にある通り「それがふさわしい」のです。
主イエスを愛するときに流す血を誇れるような信仰を持ちたいものです。
迫害者や苦しめる人を恐れないで、主イエスの血潮から目を離さないで歩みたい。

シャローム