「彼は「主よ、信じます」と言って、イエスを礼拝した。」 ヨハネの福音書 9章38節

生まれつき盲目であったこの人は、イエスさまによって目を開けていただいたのです。
しかしその日が安息日であったということで、パリサイ人によって非難されています。
パリサイ人は、なんとかしてイエスさまを攻撃し批判したいのです。
そのために、この癒された人とその両親をも巻き込んで、イエスさまを避難しようとします。
しかしこの人は、自分が癒された事実を証しするのみでした。
そのため、自分たちの方が批判されてしまう形になったパリサイ人は、この人を追い出すのです。

パリサイ人に呼び出されて、その後、追い出されてしまうのは、当時のユダヤ人にとっては大変な事態です。
パリサイ人によって罪人だと宣告されてしまったようなものです。
これからの会堂での礼拝生活にも支障があるかもしれません。

そのような状況に追い込まれた中で、この人はイエスさまに問われたのです。
「あなたは人の子を信じますか」との、問いかけは、救い主を信じるか?それがイエスだと信じる?という意味です。
明確な答えを要求する質問です。
それはこの人を追い出したパリサイ人を恐れるか、それとも神を恐れるのかを問うものです。

この人は、イエスさまの質問にはっきりと答えると、イエスを礼拝したのです。
この人の証しの言葉が真実であることを示す行為です。
私たちも、何もできなかったとしても明確にイエスさまを救い主と告白し、礼拝をすることはできます。
人を恐れず、人からの評価を気にするのではなく、イエスさまからの問いかけにハッキリと答える生活をしたいものです。
信仰告白と礼拝生活は私の人生の基盤です。

シャローム