「神よ あなたは私の愚かさをご存じです。 私の数々の罪過は あなたに隠されていません。」詩篇 69篇5節

苦しみの中にある悔い改めと賛美。
ここ69篇は、苦しみの中からの詩人の叫びです。
ゆえなく詩人は、周りの多くの人から攻撃され、苦しめられています。
2節では、その苦しみを「あしがかりもなく、大水の底に陥り」と、苦しみがとても酷いことを訴えます。
4節では、苦しめる敵の人数は「髪の毛よりも多く」とても強い攻撃だと訴えます。

詩人は疲れ切り、弱り切っているのだと、3節で訴えます。
しかしこの69篇は、最後には主への賛美で終わっています。
助けてくださいと訴えるだけではないのです。
苦しみの中でも、詩人は主への賛美を忘れることはありません。

それは詩人が、主への愛と信仰を現すことで帰って苦しめられても、証しを止めない心にも現れています。9節。
イエス様も、神を慕う熱心さが、イエス様への迫害を強くすると言う経験をされました。
時に、正しい信仰が迫害や攻撃を強めます。

そんな何十もの苦しみの中で、詩人は告白します。
詩人の罪は、主がすべてご存じであること、その罪を詩人は隠すことはしないのです。
敵が、詩人をそしっても、無実の罪で訴え、馬鹿にしてもかまわないのです。
詩人は罪を神の前に告白しています。
神への信頼と賛美は、罪の悔い改めとともに隠すことなく、詩人の唇に上ります。

苦しいところから助けて欲しいから悔い改めるのではありません。
苦しみの中であっても、悔い改めはいつも詩人とともにあるのです。
隠さず、主に申し上げることが、詩人の信仰を強くし、苦しみの底でも耐える力となるのです。

隠されていないと信じることは、見捨てられないと、信じる心と繋がっています。大切ことです。
シャローム