「ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。彼は主の宮の上の門を建てた。」列王記 第二 15章35節

北イスラエルの王が、繰り返し主の目に悪を行い、北の初代の王ヤロブアムの罪から離れることができなかっのに対して、南ユダの王は、主の目にかなうことを行いました。
それは主の宮で主を礼拝し、律法のことばに従おうとしたということです。

しかし、それでもなのです。
どうして、王たちは高き所を取り除くことができなかったのでしょうか。
民が強く要望し続けたので、取り除くことができなかったのでしょうか。
それとも王自身が主以外のものにも安全策のように、あるいは予備のためと、頼ろうとしたのでしょうか。

王が、主だけを信じて完全に委ねることができていれば、民は高き所でいけにえなど献げたりしないはずです。
民は王に倣うのです。
王の完全に主に信頼し、従うことができない心が、高木所を残し、民にいけにえを献げさせてしまうのです。

今、私たちの前には、高木所はありません、感謝で、嬉しい限りです。
しかし、私たちの心が主にのみ信頼して、主のことばに従えないのであれば、いつでも、あっという間に私の前に高木所が現れて、私を惑わしてくることでしょう。
本当に気をつけて、主を信じ、主のことばを聞きましょう。
主は、あなたを愛して、今日もあなたに語りかけておられます。

シャローム