「わたしは光を造りだし、闇を創造し、 平和をつくり、わざわいを創造する。 わたしは主、これらすべてを行なう者。」イザヤ書 45章7節

主はペルシアの王キュロスについて主が語られます。
主は、主が愛された民であるイスラエル以外の民と王にも働きかけることができます。
ここではキュロス王が主に用いられて、バビロンを滅ぼし、イスラエル人を捕囚から解放することを示します。
その上で、ペルシアの信じる神と比較する形で、主が全能の方であり、創造主であることを示されるのです。

ペルシアで信じられていた神々は、光を作った神があり、闇を作った神があって、それぞれが信じられていました。
しかし、そのような神々を信じるペルシアに働き掛けることができる主は、光を造り、闇をもつくった方なのだと、示すのです。
それは主の御手から漏れるものはないことを示すのです。

平和も主によってもたらされます。
わざわいをも創造するとありますが、主がわざわいを創造して苦しみを与えると言うことではないのです。
平和とわざわいを並べて語ることで、主がすべてのものを創造されたことを強調するのです。
ペルシアで信じられている神々とはまったく違う全能で、創造主であることを示すのです。

すべたのものを主が創造したことを強調することで、補数からの解放も、罪の赦しもすべて主から届くものであることを教えてくれるのです。
私たちの生活は、すべてのものを造られた主を信じることから始るのです。
すべてを造り、すべてを支配し支える方を信じて、困難の時も、平安な時も、この方にだけ頼り、祈り求めることを自分のものにするのです。
シャローム