「主は、アブラハム、イサク、ヤコブとの契約のゆえに、彼らを恵み、あわれみ、顧みて、彼らを滅ぼし尽くすことは望まず、今日まで、御顔を背けて彼らを捨てることはなさらなかった。」 列王記 第二 13章23節

13章は、前半2節、11節では、エホアハズ王とその子ヨアシュ王が、ヤロブアムの罪から離れることをしないで、主の目に悪を行い続けたので、イスラエルは周辺の国々から攻め込まれたりして、ずっと苦しめられて来ました。
時には、エホアハズも主に助けを願い求める他ので、主は助けの御手を伸ばされるのですが、彼は悪から離れることができません。

北イスラエルの初代の王ヤロブアムの罪はこんなにも大きく深いのだと、驚くばかりです。
しかし、ヤロブアムの深い罪よりも、主のあわれみの方が深く大きく広いのです。
その愛は変わることがありません。
主はヤロブアムの罪でさばくのではなく、アブラハムとの約束によってイスラエルを助けてくださる。
ここ23節で「契約のゆえに」とあります。
彼らの行動、祈りではなく、もちろん彼らには見るべきものもないのですが。

主は「滅ぼし尽くすことを望まず」「見捨てることはなさらなかった」のです。
すべて主のあわれみです。
ここにあるのは、今日まで主の前に悔い改めることがなく、主に背を向け続ける彼らでさえも、主は見捨てないという、主のあわれみと愛の大きさが示されています。
もちろん、だから悔い改めなくても赦されるのではありません。言うまでもなく。

しかし、主のあわれみとは、このように深いものだと言うことをもう一度、心に刻みたい。
少しでも主の目にかなう生き方のできるキリスト者となっていきたいものです。
イエス様に似た者になるのは、はるかに遠いのですが、その途上の今も、主はともにいてくださり、私を変え続けてくださいますから。

シャローム