「そこで、「どこから来たのか知りません」と答えた。」 ルカの福音書 20章7節

バプテスマのヨハネは、どこから来た何者なのかとのイエス様の問いかけに対して、祭司長や律法学者たちは、答えることができません。
彼らは正直ではなかったし、神様の前に隠すことなく心を注ぎ出すことができていない人たちだからです。
天から来たと答えれば、自分たちに都合が悪いし、それを否定すれば、町の人々の不評を受けてしまうと分かっているからです。
彼らは、神様を見ていません。
人を、それも人からどのような評判を受けるのかを、気にしているのです。

ヨハネが何者なのかを知らないのではなく、知ろうとしないのです。
それは神様のことを知らないと、告白しているのだという、そのことに気がついていません。
人々に罪人だと罵られても、神様に自分を知ってもらいたい、あわれんで欲しいと、痛みと涙を持って祈る人とは、全く反対の人です。
しかし、そんな祭司長たちのことも、主はご存じであり、あわれみを注がれるのです。

私は、主に知られていることを喜びと受け止め。
主のことを知りたいと祈り求める日々を送る人でいたいものです。
そうすれば、ヨハネが何者であり、ヨハネが神様に遣わされたのは、自分のためでもあると知り、喜び感謝の心でイエス様に答えることができます。

シャローム