「ただし、高き所は取り除かれなかった。民はなおも、その高き所でいけにえを献げたり、犠牲を供えたりしていた。」 列王記 第二 12章3節
王になったヨアシュは、祭司エホヤダに導かれて、主の目にかなうことを行いました。
聖書はヨアシュが「いつも」主の目にかなうことを行ったと記しています。
ヤロブアムの罪、偶像から離れるように祭司エホヤダに教えられて、それを守ったのです。
しかし、未だヨアシュは、国中から完全に偶像礼拝を捨て去ることができませんでした。
主の目にかなったと、記したそのすぐ後で、高き所が取り除かれなかったと、記すのです。
ヨアシュは主に従いつつも、国から、イスラエルの民から偶像礼拝を完全に取り除くことができなかったのです。
その結果、民は高き所へと行って、偶像の神々にいけにえを献げるのです。
自分の願う通りのことが起きて、豊かになり、喜びに満ちたいと願うのです。
その願いは間違ったものではありません。
しかし、実現のために、偶像の神々を頼るのは、完全に間違っています。
主を信じて主のことばに従います。
願いを祈るのも主に祈ります。
その答えを信仰を持って待つのです。
別の何かに頼ったり、別の何かに献げものをしたりしてはいけないのです。
主だけを愛して、祈りと賛美を献げるのです。
他のものは完全に取り除きます。
それが平安と幸に満たされていく歩み方です。
取り除くべきものが自分の中に残ってはいないでしょうか。
シャローム