「イエスは彼に言われた。「行きなさい。あなたの息子は治ります。」その人はイエスが語ったことばを信じて、帰って行った。」 ヨハネの福音書 4章50節

イエスが、水をぶどう酒に変えられた最初のしるしを行なわれたカナを再び訪れて、そこでイエス様が行なわれた第二のしるしです。
王室の役人が、病気で死にそうな息子を癒してくださるように願って、やって来たのです。
イエスさまは、あなたがたはしるしを見なければ信じないのだと、その頑なな心を嘆かれます。
しかし、来て欲しいという彼に対して、出かけるのではなく、ことばを与えます。

この人が、イエスさまのことばを信じて「行った」とき、息子は、その時間に既に癒されていたことを52節が示します。
しるしを、見たから信じたのではなく。
信じて、行動した。この場合は家に帰って行くことが、信じた故の行動です。

しるしを見たら信じると言う人は、しるしをしるしとして見ることもかなわないのでしょう。
信じたからこそ、しるしをしるしとしてちゃんと見て、受け止めることができるのです。
そこには、イエスさまを信じるということが必要です。

しるしばかりを求める人は、しるしを自分のことして経験することはないのでしょう。
しかし、信じることができる人は、行動に移ることができて、その結果としてしるしを経験できるのです。
イエスさまのことばを聞いて信じ、そのことばに従うことが、大切です。

信じる時にこそ、困難を経験する中でも行動する力が与えられるのだと思います。
この人は、行きました。行くことができたのです。その時には、既にイエスさまのしるしは起こっていました。
シャローム