「イスラエルの牧者よ聞いてください。ヨセフを羊の群れのように導かれる方よ光を放ってください。ケルビムの上に座しておられる方よ。」 詩篇 80篇1節

「イスラエルの牧者よ聞いてください」
今日、80篇を開いて、この言葉「聞いてください」が、心に響きました。
イスラエルの牧者とは、主なる神様のことであるのは確認するまでもないことです。
助けてください、見捨てないでくださいと、声を荒げるのでもありません。
悲壮な思いで叫ぶのでもありません。
でも、今、主に聞いて欲しいのです。
詩人の心からの声を聞いて欲しいのです。
答えを求める前に、何よりも主である牧者に、聞いて欲しいのです。

この時、苦しみ、悲しみが詩人とイスラエルの民の全体にあります。
それは自分たちが主の前に犯した不義の結果です。報いなのです。
でも、詩人は18節で「私たちはあなたから離れ去りません。」と、声を上げます。
これは詩人の心です。
主の近くに居たいのです。主を愛しています。
けれども同胞の民の多くは、悔い改めることもなく、主に祈ることもないのです。
ですから、主に何かを願い求めるというのではなく、主に聞いて欲しいのです。
主が、詩人の心の声を聞いてくださるなら、詩人はそれだけで平安があるのです。

具体的な何かを願い求めるより、叫び求めるより、ただ静かに「聞いてください」と、声をあげることができるのは幸いだと感じました。

シャローム