「こうしてミシアの近くまで来たとき、ビティニアに進もうとしたが、イエスの御霊がそれを許されなかった。」 使徒の働き 16章7節
パウロは精力的に宣教の働きを続けています。
パウロはどこまででも出かけて行って、主イエスが救い主だと語りたいのです。
イスラエル地方から出発したパウロの計画、思いにはアジア地方へと足を進めることもあったのです。
しかし、前の節、6節では、聖霊がそれを禁じました。
パウロの旅の目的地が変わります。
さらに、ここ7節でもイエスの御霊が、パウロの旅の行手を阻みます。
主が、宣教の働きを禁じることがあるのです。
しかし、それはパウロにしかできない働きが、主によって備えられているからです。
旅の計画、宣教の計画が変わってしまいましたが、その結果、パウロは、ピリピの町で初めて、女性を語る相手として中心におき、大切に語ります。
そしてリディアが主を信じて救われます。
アジアへの門は閉じられましたが、女性に積極的に伝えるという福音の門が開かれたのです。
この働きは大切な働きです。意味があります。
主の御霊が、聖霊が、私たちに「待て」と言われる時には、その閉ざされた先に、主の大きなご計画と恵みがあるのです。
禁じられるのもまた、その先に主の期待があるということです。
素直に聞き従い、新しい道を楽しみにして歩みたい。
私のピリピがあると思います。
シャローム