「『この民のところに行って告げよ。あなたがたは聞くには聞くが、決して悟ることはない。見るには見るが、決して知ることはない。」 使徒の働き 28章26節
イザヤ書6章9節からの引用です。
この時も、パウロが語ることばを聞いても、ユダヤ人の、ある人たちはイエスを救い主と信じますが、信じない人たちもいました。
そして、そのことは旧約聖書の時代から続いていることであり、予言のことばとして、こうしてイザヤによって語られていた通りなのです。
旧約聖書の時代から、パウロが語るこの時まで、主は語り続けてくださったのです。
それはユダヤ人を愛し、アブラハムを選び出して、その子ども、子孫たちを救い、祝福するためでした。
しかし、主がどれほど語りかけても、主が幾人もの預言者を送っても、語られたことばを聞くだけで、本当の意味で聞いていない人が多いのです。
しかし、主のことばを素直にしっかりと聞かない人は悟ることができません。
「悟る」という言葉からは、私たちは何か特別な経験や鍛錬を積んで、自分の力でそれを得るように思いますが、そうではありません。
ここでは続けて「見るには見るが、決して知ることはない」と、言い換えられています。
パウロのことばを聞いて、証しする者のことばを聞いて、神を知る、神を信じるということです。
聞くべきことばを聞いて、主を信じる人にならなければ、私たちは真に幸せになることはできず、平安に生きることができないのです。
主のことばを素直に聞ける人、聞いて主を知る人となっていきましょう。
その先に、私の喜び祝福があるのです。
聞くべきことばを聞く耳を持ちたいものです。
シャローム