「これを聞いて、私たちも土地の人たちもパウロに、エルサレムには上って行かないように懇願した。」使徒の働き 21章12節
私たちとは、本書の著者でもあり、パウロの旅の同行車のルカと他の宣教旅行の同行者です。
その人たに加えて、土地の人たち、即ち、パウロが滞在しているカイサリアの教会の兄弟姉妹たちのことです。
パウロとともに礼拝を献げ、宣教の働きをしている同労者と神の家族である教会の人たちが、皆が一緒になってパウロに願ったのです。
懇願ですから、とても強い意思でパウロに願ったのです。
それはエルサレムには上って行かないこと。
旅の目的地として、エルサレムには行かないで欲しいとのことです。
この地の人たちがエルサレムの人たちと対立しているとか、嫌っているというのではありません。
11節に記される通り、パウロがエルサレムに行けば、そこで捕らえられて、やがては処刑されてしまうと言う預言を聞いたからです。
そう、パウロの身を案じているのです。
ルカも土地の人もみんなが、気持ちは同じなのです。
パウロには安全に、そして広い地域で宣教の働きをして欲しいのです。
しかし、パウロの思いは違います。
パウロは、捕らえられたとしても、そして処刑されて命を失うことになっても、パウロに主が示しておられる働きに忠実に仕えることが望みです。
それが喜びです。
迫害の危険、命の危険があっても、優先順位、パウロの欲するところは、主にどこまでも仕えること。
そして一人でも多くの人を主に立ち返らせることです。
人々のパウロを案じる願いと、パウロが願うことは違っていました。
私たちは、友人を隣人を愛して、その身を案じます。
けれども、主に委ねて、大切な働きに仕えようとする人の心を乱すことがあってはいけないのです。
そのためには、私たちはいつも主に祈ることが大切になります。
そうすれば、平安が与えられて、大切な使命をともに果たすことができます。
シャローム