「しかし、ある者たちが心を頑なにして聞き入れず、会衆の前でこの道のことを悪く言ったので、パウロは彼らから離れ、弟子たちも退かせて、毎日ティラノの講堂で論じた。」 使徒の働き 19章9節

パウロがティラノにお講堂で論じて、福音を語っています。
それだけを読めば、何のこともない説明文のようです。
しかし、その前の8節では、会堂で3ヶ月の間、パウロが福音を語っていたことが記されています。
しかし、そこには頑なにして福音を受け入れない人がいました。
聞き入れないだけではなく、祖pの人たちは、会衆の前で福音を悪く言ったのです。
それでパウロは、そこに居ることができなくなり、彼らから離れて、今度は講堂で語り始めたのです。

本当ならば、主なる神様をあがめて、救い主を待ち望んでいたはずの人々が、礼拝をする会堂で、主イエスの使徒となったパウロが語ることができなくなったのです。
そして、礼拝をする会堂ではなく、一般の講堂で語ったのです。

主なる神様を信じていると言いながら、頑なになり、救い主のことばを聞くことができない人がいるのです。
自分を誇り、頑なになってしまうと、神様の語りかけてくださっていることばさえも聞くことができなくなってしまうのです。

パウロには、会堂で語る道が閉ざされても、次の道が開かれていきます。
しかし、頑なな心で自分から道を閉ざし、遠ざけてしまうような人は、恵みを遠ざけてしまうのです。
心を素直にしなければ、私たちは主の言葉を聞き漏らしてしまうのです。
頑なな心は、一つとして良いものを自分に与えることはありません。
素直な心と感謝する心で、人のことばを聞くことが大切です。そのことばは主のことばに繋がっているものです。

シャローム