「はかない罪の楽しみにふけるよりも、むしろ神の民とともに苦しむことを選び取りました。」 ヘブル人への手紙 11章25節
11章は、信仰の先人たちの姿を教えてくれます。
「信仰によって」ということばが繰り返されています。
信仰によって、私たちは「何を見て」「何を知り」「何を信じていると確信する」のでしょうか。
アベルに始まり、エノク、ノア、アブラハムと先人たちの名前が続きます。
そして一人ひとりが、信仰によって、遥か遠くに何を見て、信仰の道を歩み通したのかが示されています。
ここ25節は、モーセのことを語ります。
信仰によって、モーセは、エジプトの王の息子として、王宮で豊かに暮らすことではなく、同胞のユダヤ人たちと共に生きることを選んだのです。
しかし、その生き方は豊かで安心できる日々から離れて、命の危険と苦難の生活でした。
ここではエジプト人、王子として豊かに生活することを「はかない罪の楽しみ」と表現します。
そしてエジプトで苦しめられている同胞ユダヤ人の生活は「苦しい」生活だと言います。
実際にそうなのです。
私たちは、この地上で80年、或いは100歳まで生きたとして、その人生ははかないのだと、主なる神は言われるのです。
地上での命だけで終わるならば、確かにそうです。
しかし、信仰によって私たちは永遠のいのちと神とともに生きる天の都に入ることを信じて、期待しています。
苦しみは、そこに入るための道です。
苦しみは確かにあるのです。でも約束は確かです。
ノアもアブラハムもモーセも、そして新約のペテロやパウロもそうなのです。
信仰によって、あなたは何を見ていますか。
シャローム
