「幸いなことよ主を恐れ主の道を歩むすべての人は。」 詩篇 128篇1節
神を信じるとは、神に自分の願いをかなえてもらうことではない。
自分にとって、御利益があるから、それをしてくれる神様という存在を信じることとは違う。
128篇は、最初の1節と真ん中の4節に「主を恐れる」ということを告白しています。
ここでいう恐れるというのは、さばきや罰が与えられることを怖がることではありません。
罰を怖がり恐れて、それを避けるためにその神々を信じるものでもありません。
恐れるとは、神様を自分とは違う存在であることを認めて、尊敬と愛する心を持って、その方のことばを聞いて従う姿勢です。
人は間違いを犯します。
失敗をし、嫉みや憎しみといった義でも善でもない心を持って行動をしていまいます。
しかし、聖書の神は完全に正しい義の方であり、愛の方です。
その語ることばは私たちを導き、守り、時にさばきます。
しかし、そのさばきはどこまでもあわれみ深く、赦しが隠されています。
ですから、自分の都合で願うばかりの祈りではなく、神様のことばを待つ祈りをして歩むならば。
その人は、祝福されます。
主を恐れることができる人は、祝福が約束されているので、幸いな人となります。
その道が、時に苦しく、涙することがあっても、そこには豊かな実り、主からの祝福があります。
主を恐れることが私たちの一日に大切です。
シャローム
