「幸いなことよ矢筒をその矢で満たしている人は。彼らは門で敵と論じるとき恥を見ることがない。」 詩篇 127篇5節
短い127編ですが、その始まりの1節と続く2節の前半で、3回「むなしい」と、声をあげています。
家を一生懸命に建てることに力を注ぎ、町を守るために必死に見張っても、早く起き遅くまで労苦しても、それはむなしいと言うのです。
もちろん、これは努力することや力を注ぐことを否定することばではありません。
人が、主のことばを聞くことをしないで、自分の力だけに頼って動き、働こうとするならば、それはむなしい結果に終わるのだと、最初に声を上げます。
しかし、後半になると一転にして詩人は祝福を語ります。
主を信じる人は、家族が祝福されて守られ、子孫が増え広がるのだと告白します。
そして最後の5節では「矢筒をその矢で満たしているいる人」と、主を信じる人のことを示します。
これは例えです。
戦いの場において、前もって矢筒を必要な矢で満たしている人は、従分な備えがある人であり、戦いに勝利する人であることを語るのです。
その人は幸いなのです。
何故なら、彼の矢筒を満たしているのは、主の恵みそのものだからです。
主が備えを与えてくださり、勝利を与えてくださることを示しています。
ですから、その人は敵と対峙した時に恥を見ることがなく、勝利するのです。
むなしく終わることは決してないのです。
実に、主に信頼する人のためには、主は、詩人が眠っている間に、必要の全てを満たしてくださり、勝利へと導いてくださるのです。
私たちが主を信じて、主に委ねて眠るならば、その眠りは真の安息を与えて、その人の働き、使命を成功させるために、主が必要を満たしてくださるのです。
主は眠ることもなく、私たちのために恵みと守りを与えてくださり、私に感謝の朝を迎えさせてくださいます。
シャローム
