「同じように、これらのことをすべて見たら、あなたがたは人の子が戸口まで近づいていることを知りなさい。」 マタイの福音書 24章33節

終末の日が近づいていることを教えることばです。
黙示録3章20節に記されている通り、終末の日にイエス様が戸口の外に立って、戸を叩いておられます。
未だ、こない終末の日ではなく、まさに今、来ようとしている終末なのです。
終末の日が来る時、起きる時には、どのようなことが起きるのかをイエス様は教えてくださいました。
終末を目前にして、私たちはサタンやサタンの仲間に惑わされないで注意するようにとの警告も受けています。

ただ私たちは、その日を恐れたり、惑わされないようにと不安になるのではなく、すべきことがあります。
主イエスのことばを聞いて、従い通すこと。
主イエスが救い主であることを証しして、生きることです。

再臨の主イエスは「思いがけないときに」来られると語られています。
思いがけないときに、慌てふためいて、イエス様の前に顔を隠さなければならないような生き方はしないように。
思いがけないときが、驚き感動する思いがけないときとして、受け止められる夕に、朝を過ごして歩みたいと思います。

1年の感謝、毎日の夕の恵み、朝の感謝をもって主イエスを賛美して、新しい年、2026年も主に期待して迎えたいと思います。
ご一緒にみことばを開き、祈り、賛美しましょう。

シャローム
シティリジョイスチャーチ 榊原康成

主が、唇を開いてくださるので、詩人は、主を賛美することができるのです。
そうしてその賛美によって、主の栄光を人々に伝えること、証しすることができると、言っているのです。

これはモーセが主に召された時のことを思い起こします。
モーセは、自分は口下手なので、エジプトの王や人々の前で上手く語ることができないと訴えた時に、主は答えてくださいました。
主がことばを与え、主が口を開かせ、証しをさせるのだと、答えてくださったことを思い起こすのです。

私たちが思うことばより、私たちが考えるよりも、主が遥かに確かで素晴らしいことばを与えてくださるのです。
そして、主が語ることができるように導いてくださるのです。
主をほめたたえる賛美のことばも、主が私に与えてくださるのです。
でも、それは恥ずかしいことではありません。
それは主に私が全自動で操られるのでもありません。

主が、私の欠けているところを補い、さらに豊かに満たして、私が語れるようにしてくださるのです。
愛の主の導きと恵を信じて、主が唇を開いてくださることを求めることができるのは、幸いなのです。
そしてそのことばは、唇を開いて語る私を豊かにしてくれるのです。
主に導かれて、主を賛美しましょう。
シャロームシティリジョイスチャーチ 榊原康成