「わがたましいよなぜおまえはうなだれているのか。なぜ私のうちで思い乱れているのか。神を待ち望め。私はなおも神をほめたたえる。私の救い私の神を。」 詩篇 42篇11節
「うなだれているのか」
5節、6節、そして11節で繰り返して詩人は自分の心とたましいに語りかけ訴えています。
なぜ私はうなだれるのかと、問うのです。叫ぶのです。
うなだれるとは、絶望している心と態度のことです。
今、詩人は苦しめられています。
しかし、詩人は主を信じて、主を慕い求めています。
主への信仰があります。
主を乾くほどに求める心があります。
信頼し、主の助けを期待しているのです。
一方で、うなだれてしまう自分がいることを、この詩人は認めるのです。
心が思い乱れているのを認めるのです。
それなので、3度も「うなだれているのか」と、自分に問い、自分の心を鼓舞します。
そして、最後に最後に、詩人は、神を待ち望んで、神をほめたたえて詩を閉じるのです。
苦しめられても、心が乱されても、うなだれてしまっても、詩人は主への賛美を忘れないのです。
主を賛美して、詩人は唇を閉じるのです。
見習いたい、詩人の主への賛美の心です。
シャローム
